ハイプを超えて:「パイロット地獄」を脱出し、日独で産業用AIをスケールさせる方法 (SusHi Tech Tokyo 2026)
共有された産業の遺産と、デジタル領域における焦燥感
SusHi Tech Tokyo 2026における「From Pilot to Production: What Japan Can Learn from Germany in Scaling AI for Industrial Impact(実証実験から本格導入へ──産業インパクト創出に向けたAIスケーリングにおいて、日本がドイツから学ぶべきこと)」と題されたパネルディスカッションは、両国が直面する極めて重要な課題に焦点を当てた。
世界トップクラスのエンジニアリング力を持つドイツと、ものづくり(製造業)の卓越性で知られる日本は、非常に多くの構造的類似性を備えている。しかし、高度なハードウェア産業を有する一方で、両国ともに急進するソフトウェア主導の人工知能(AI)シフトへの適応に苦戦しているのが現状である。
Mabel FU氏(Start2 Group Japan、モデレーター)が進行役を務め、川久保 カロリーナ氏(NRW.Global Business Japan 代表取締役社長)、ステファン・サクレ氏(4a Plus Corporation 共同経営者兼CEO、Start2 Group メンター。元ボッシュ・レックスロス・ジャパンおよびカール・ツァイス・ジャパン社長)、そしてTim Wegner氏(ドイツのAIスタートアップ Workist 共同創業者兼共同CEO、German Accelerator アルムナイ)が登壇した本パネルは、小規模な実験フェーズから実生産スケールへとAI実装を移行させるための具体的なロードマップを提示した。

1. 測定可能な価値:AIが実際に効果を発揮している領域
メディアでは理論的なAI活用が誇張されがちだが、パネルではすでに確実な投資対効果(ROI)を生み出している具体的な産業ユースケースが紹介された。
予兆保全と異常検知:
AC&Cの事例: ドイツのディープテックスタートアップ「AC&C」は、自動車用ティア1サプライヤーの製造プロセスにおける異常検知プラットフォームを共同開発した。このAI導入前、企業は燃焼不具合による18万台の大規模なリコールに直面するリスクを抱えていたが、AIシステムで異常データを特定・隔離した結果、実際の回収はわずか6,500台に留まり、数億ユーロ規模の損失を回避することに成功した。
書類業務が集中するB2B業務の自動化:
Workistの事例: 製造業や卸売業の受注業務では、手入力作業が深刻なボトルネックとなっている。WorkistのAIは、メールに添付されたPDFやスキャン画像などの非構造化データを正確に読み取り、SAPなどの基幹システム(ERP)へ自動入力する。これにより、入力ミスや発送遅延がゼロになり、従業員は定型業務から解放され、より付加価値の高い顧客提案にリソースを集中できるようになる。
接続性の課題: ステファン・サクレ氏は、日本の産業界が抱える深刻な現状を指摘した。「日本の工作機械でインターネットに直接接続されているものは、わずか1%程度に過ぎない」というデータが存在する。コロナ禍で一時的に接続率は高まったものの、現場への訪問が可能になった現在、デジタルのインフラ構築に対する根強い抵抗感から、その熱は再び冷めてしまっている。
2. 「パイロット地獄(Pilot Purgatory)」からの脱出:なぜ実証実験で終わるのか
議論の最も重要な焦点の一つは、スタートアップと大企業双方が陥る「パイロット地獄」—すなわち、実生産(プロダクション)スケールに移行できない終わりなき実証実験(PoC)の連鎖についてであった。
スタートアップ側の罠: スタートアップが陥りがちな過ちは、大手企業(ドイツ鉄道、シーメンス、トヨタなど)のR&D部門から資金提供を受ける「カスタム開発型パイロット」を追うことである。これらは標準化・スケール化可能な製品ではなく、一社限定の受託案件(エージェンシー業務)になってしまう。Tim Wegner氏は、Workistがカスタムパイロット開発から完全に撤退し、業界に共通する受注処理という「退屈だが深刻な共通課題」に特化したSaaS製品を構築する決断を下した経緯を共有した。
大企業の盲点: 製造業の大企業は、AIの導入が単なる技術更新ではなく「ビジネスモデルの変革」を伴うことを過小評価している。従来の機械販売は馬力や回転数などの仕様に基づいて行われてきた。しかし、AIの導入・展開はサービスモデル(SaaSやサブスクリプション契約)への移行を意味する。これには、既存の営業部門、財務部門、さらには法務部門の大規模な意識改革と組織の再設計が必要となる。
3. 日独における組織文化・構造の比較
パネリスト陣は、ドイツと日本のそれぞれ異なる組織的病理が、結果として同じ「AI導入の遅れ」という障壁を生み出している現状を分析した。
ドイツ:完璧主義と「オーダーメイド」への執着
ドイツの製造業顧客は完璧主義であり、「自社のプロセスは特殊であるため、標準化された製品は適合しない」と主張し、カスタム仕様を要求する傾向が非常に強い。 また、メルセデス・ベンツやBMWなどの自動車メーカーにおいて、ITシステムがソフトウェア専門家ではなく、機械工学出身のエンジニアによって構築されてきた歴史もプラットフォーム化を阻害している。これらは安全で極めて高品質な個別システムではあるが、柔軟性や拡張性に欠ける。
日本:取締役会の技術理解不足とエコシステムの分断
日本では、AIツールの導入決定が、技術的な理解を欠く経営陣に委ねられているケースが多く、これが意思決定を著しく遅らせている。
「プリンターを繋ぐ部署」としてのIT: 長年、ITは戦略的な投資ではなく、単なる「プリンターを接続する業務」のようなバックオフィス業務として軽視されてきた。
学術研究とビジネスの分断: ドイツでは、フラウンホーファー研究機構(Fraunhofer-Gesellschaft)やアーヘン工科大学(RWTH Aachen University)が大学の研究成果をビジネスに直結させるハブとして機能しているが、日本の大学教授陣は研究の商業化に対して「非商業的であることの誇り」を抱きがちで、アカデミアと産業界の間に強い壁が存在する。
国内市場への孤立(ガラパゴス化): 日本のスタートアップは、初期段階で居心地の良い国内市場だけに依存し、グローバル仕様での製品開発を後回しにするため、海外の機関投資家からの大規模資金調達を逃すリスク(ガラパゴス化)を抱えている。
4. 地政学的危機感:日本語の壁の消滅
AIによる高精度な翻訳技術の普及により、これまで日本市場を守っていた「日本語の壁(言語障壁)」は急速に消滅しつつある。これは日本企業のグローバル進出のチャンスである一方、海外の極めて機敏な「AI-first型(少人数・超高効率)」の競合企業が、極めて低いコスト構造で日本市場へ直接参入してくる脅威をも意味する。産業的優位性を守るため、日本企業はもはや地理的孤立に甘んじることはできない。
産業用AIをスケールさせるための戦略的提言
小規模な実証実験から大規模な実運用へと移行するためには、日独の製造業・産業企業は戦略的アプローチを根本から見直す必要がある。パネルディスカッションの総括として、以下の4つの提言を結論とする。
取締役会(ボードルーム)のAI専門性の向上: 企業の意思決定のトップにソフトウェア工学の専門家を直接配置し、AIを単なるITインフラではなく経営の主軸として捉え、戦略的なアーキテクチャ投資をトップダウンで推進すべきである。
R&Dパイロットから共通B2B製品へのシフト: スタートアップは大企業の安価な研究受託機関となるのを止めるべきである。大企業は個別カスタムプロジェクトの費用を自社で賄い、スタートアップは産業界全体の共通課題を解決する再現性の高い製品の開発に集中すべきである。
「まず試す」アジリティモデルの受容: 日独の企業は初日からの完璧主義を捨てる必要がある。米国や中国のIT企業のように、まずはMVP(最小限の実用製品)を現場に素早くデプロイし、テストし、効果のあるものをスケールさせ、失敗したものは即座に廃棄する高速な反復アプローチを採用することが極めて重要である。
初期段階からの多国籍・混合チームの構築: 日本のスタートアップや中小企業は「ガラパゴス化」を避けるため、早い段階から外国人インターンや多様な言語バックグラウンドを持つエンジニアをチームに迎え、グローバルにスケール可能な製品設計を最初から行うべきである。
















