AWSが牽引する「インダストリアルAI」と「フィジカルAI」の最前線――VW、ペプシコに見る巨大製造業のデジタル変革と社会実装への道(Hannover Messe2026報告)
- Komiya Masahito
- 5月2日
- 読了時間: 11分
製造業を取り巻く環境は、これまでにないスピードで変化を遂げている。熟練労働者の引退による深刻な人手不足、既存のレガシーシステム(ブラウンフィールド)との共存、そして脱炭素化といった地球規模の課題に対し、最新のAI技術はどのような解決策を提示できるのか。近年、物理環境とデジタル技術を高度に融合させる「デジタルツイン」や、現実世界で自律的に行動する「フィジカルAI」、そしてAI自身が自律的に意思決定を行う「エージェンティック・システム」が製造業の現場に革命をもたらそうとしている。
本稿では、AWSとその先進的なパートナー企業であるPepsiCo、Neura Robotics、Infor、そしてVolkswagen Group(VW)の具体的な取り組みを通じて、インダストリアルAIの社会実装における現在地と、成功のための絶対原則である「初日からのスケーリング(Scaling from day one)」の重要性を紐解いていく。(Hannover Messe2026セッションにもとづく記載)

セッション:
Realizing Industrial AI at Scale with AWS
(AWSで産業用AIを大規模に実現する)
登壇者:
・David Reger Founder and CEO NEURA Robotics
・Florian Lechner Head of Digital Production and Logistics Volkswagen
・Ozgur Tohumcu General Manager Automotive & Manufacturing Amazon Web Services
セッション概要:
産業用AIは、製造業者にとって前例のない価値を引き出し、自律的な運用を可能にし、サプライチェーンを最適化し、製品イノベーションを加速させるのに役立っています。しかし、バリューチェーン全体に産業用AIを導入することは、製造業者にとって依然として大きな課題であり、前例のない混乱を乗り越えるために必要なブレークスルーを阻んでいます。AWSの支援を受けて、大手製造業者がどのようにこのギャップを埋めているかをご覧ください。AWSの顧客が、複雑な運用とサプライチェーンの最適化に役立つエージェント型AIシステム、要求の厳しい工場環境で動作する物理AIシステム、断片化された運用を単一のインテリジェントなシステムに変換する統合データ基盤を、よりスケーラブルで安全なクラウド上でどのように導入しているかをご紹介します。フォルクスワーゲングループが、デジタル生産プラットフォームを通じて産業用AIのメリットを大規模に実現し、43の工場を単一の工場クラウドに接続し、1,200以上のAIアプリケーションを展開し、スループット、品質、持続可能性の大幅な向上を実現している様子をご覧ください。

ペプシコが証明した「デジタルツイン」の破壊力:設計サイクルを数年から数日へ圧縮
製造業において新しい技術やプロセスを導入する際、最も回避すべきリスクは「稼働中の既存オペレーションを破壊してしまうこと」である。そのため、変更を実際に現場に適用する前に、システムがどのように動作するかを事前にモデル化しテストできる「デジタルツイン」の重要性が極めて高まっている。このアプローチにより、過度なコストや運用への負担を抑えつつ、自信を持った意思決定が可能になる。
この領域で驚異的な成果を上げているのがPepsiCoである。同社は、全世界の物理的なオペレーションをデジタル上で再現するため、すべての機械、コンベヤベルト、パレット、そしてオペレーターの移動経路に至るまで、3Dのフォトリアルな画像を用いてマッピングし、完全な「デジタルブループリント(設計図)」を構築した。このシステムは、SiemensのDigital Twin ComposerとNvidia Omniverseを採用し、AWS上で稼働するNvidia GPUによって強力にアクセラレーションされている。
このデジタルツイン環境により、PepsiCoは数百、数千にも及ぶ施設のレイアウト変更を仮想空間上でテストすることが可能となった。従来であれば数ヶ月、場合によっては数年を要していた設計サイクルは、わずか数日へと劇的に圧縮された。また、仮想テストを通じて「すべてのラインにコンベヤベルトを配置する必要はない」といった運用上の最適解を発見できるようになり、予測可能性が約20%向上したほか、余剰生産能力の可用性が約10%〜15%向上するという絶大なビジネスインパクトをもたらしている。
新設工場(グリーンフィールド)から古い設備が残る工場(ブラウンフィールド)まで、製造業者はそれぞれ全く異なる環境で稼働しており、「イノベーションの自由」を求めている。AWSはこれに応えるため、多種多様な基盤モデルへのアクセスと、それらをトレーニングするためのコンピューティングリソースを提供しており、企業が自社の保有するデータを活用して一般的な基盤モデルを独自運用に合わせてカスタマイズできる環境を整えている。
人手不足の救世主となるか。Neura Roboticsが描く「認知型ロボット」の世界
デジタルツインが仮想空間での革新を担う一方で、現実世界での革新を牽引しているのが「フィジカルAI(Physical AI)」である。これは、工場で自律的に稼働するロボットから、廊下を歩く人型ロボット、公道を走る自動運転車に至るまで、機械が現実世界とどのように相互作用するかを定義する技術だ。
この領域で先駆的な取り組みを進めているのがNeura Roboticsである。同社の創業者兼CEOであるDavid Greger氏によれば、Neuraが開発しているのは「見る、聞く、感じる、考える、そして完全に自律的に反応する」能力を備えた「認知型ロボット(Cognitive Robots)」である。
同社がこの技術を推進する背景には、世界的な人口動態の変化がある。人間を訓練して十分なスキルを身につけさせるには数千時間、あるいは何年もの歳月が必要だが、現代社会は高齢化が進み、新たに訓練できる人間の数よりも、スキルを持った熟練労働者が退職していく数の方が圧倒的に多いという深刻な課題を抱えている。ここでロボット工学とフィジカルAIが重要な役割を果たす。ロボットは人間よりも遥かに速くスキルを習得でき、そのスキルを世界中にスケールさせるためのインフラを構築することが可能だからだ。
Neura Roboticsは、ユーザーが他者とデータを共有することなく、独自のノウハウやスキルをロボットに訓練させ、「パーソナルな脳」を構築できる物理的インフラを提供している。この技術の最大の利点は、訓練された脳が1台のロボットに留まらず、工場内のロボット群(フリート)全体に一斉に共有(イネーブル化)される点にある。さらに、同社は「Neuraverse」と呼ばれるマーケットプレイス型プラットフォームを構築しており、ユーザーは自らが訓練したスキルを世界中に配信し、数百万台のロボットを稼働させることができる。
またGreger氏は、ロボット単体を賢くするだけでなく、他のデバイスと接続する「上位レイヤー」の重要性を説く。例えば、「ロボットに階段を上らせて冷蔵庫を開けさせ、中身を確認させる」のではなく、「AIモデルとカメラを搭載した冷蔵庫の『目』とロボットをネットワークで直接接続する」といったアプローチである。
この壮大なビジョンを地球規模で迅速に展開(スケーリング)するため、Neura RoboticsはAWSとの戦略的パートナーシップを締結した。Amazonがすでに保有する数百万台規模のロボットフリートインフラを活用すると同時に、Alexaの統合や、AI開発者でなくとも容易にロボットを訓練できる環境をAmazon SageMaker上に構築することで、インダストリアルAIの世界的な普及を加速させている。
インダストリアルAI実装の壁と「エージェンティック・システム」の台頭
このように革新的な技術が次々と誕生しているにもかかわらず、産業界へのAI実装が期待されたスピードで進んでいないのには明確な理由がある。それは技術自体の問題ではなく、「既存の環境においてテクノロジーがどのように運用されるか」という障壁が存在するからだ。
素晴らしいAIシステムであっても、レガシーなブラウンフィールド環境に導入する際には、既存のMES(製造実行システム)やPLM(製品ライフサイクル管理)、サプライチェーン全体とシームレスに統合され、既存の運用を絶対に阻害しないことが求められる。AIの導入に失敗すれば、ビジネスに深刻な悪影響を及ぼすため、新しい技術に対して「信頼(Trust)」を構築することが何よりも重要となる。
特に現在、AIは単に推奨(レコメンデーション)を行う「アシスタント」の役割から、実際に自律的に行動し変更を実行する「エージェンティック・システム(Agentic Systems)」へと進化を遂げつつある。AIが自ら行動を起こすようになるにつれ、データや知的財産(IP)、企業の価値ある資産を保護する基盤の重要性は飛躍的に高まっている。
AWSは欧州の顧客からの「極めて機密性の高いワークロードを主権(Sovereign)が確保された環境で展開したい」という強い要望に応え、約78億ユーロ(18〜24ヶ月前の投資)を投じて「欧州ソブリンクラウド(European Sovereign Cloud)」を構築し、今年初めに稼働を開始した。このクラウドは完全にEUの境界内で運用され、運用スタッフもEU出身者のみで構成される独立したインフラであり、AIに対する強固な信頼基盤を提供している。
エージェンティック・システムの強力な成功事例として、AWS環境を活用して製造業向け業界エージェントを構築しているInforの取り組みが挙げられる。Inforが提供する「Express bots」と呼ばれるエージェントは、商品の返品処理に特化して開発された。このエージェントを導入した企業では、返品処理の時間をなんと95%も削減し、期限切れ商品の配送に関わるコストを50%削減するという、驚異的な効率化を実現している。
AIが自律的にERPやIoTシステムに介入し変更を加える段階において、AWSは「ヒューマン・イン・ザ・ループ(人間の介入)」や適切なガードレールをシステムに実装し、監視を続けることで、人間中心のAIイノベーションを安全に大規模展開するための支援を行っている。
フォルクスワーゲンが実践する「DPP」とAIの全面展開
製造業における「AIのスケール」を圧倒的な規模で体現しているのが、巨大自動車メーカーであるVolkswagen Group(VW)である。VWのデジタル生産およびロジスティクス部門の責任者であるFlorian Lner氏は、「我々は車を作っているが、昨今ではソフトウェア、データ、そしてAIがいかにオペレーションを変革するかという点に組織の焦点を大きくシフトさせている」と語る。VWのグローバルな生産・物流システムは、数十の拠点、数百のプロセス、そして毎日行われる数百万もの意思決定から成り立っており、現在はそれらがデジタル化とAIによって駆動されている。
VWとAWSは2019年からパートナーシップを結び、VWの持つ製造プロセスと生産スケーリングのノウハウと、AWSのテクノロジーを融合させた「デジタル生産プラットフォーム(Digital Production Platform:DPP)」を共同で構築した。このDPPの目的は、柔軟で効率的な製造プロセスを実現し、ITコストを削減し、顧客に車をより早く届けることである。
現在、このDPPは完全に稼働しており、世界中にある40以上の工場が単一の統合されたクラウドに接続され、66以上のユースケースが実装されている。VWは常に工場のフロア(現場)レベルから価値を生み出す「エッジ・ツー・エッジ・イノベーション」を重視しており、生産現場の共通データ基盤を構築するという困難な作業を乗り越え、再利用可能な機能と共通のユーザーインターフェースを展開している。現在ではこの基盤の上に、「Genius」と呼ばれる生成AIプラットフォームがグローバルに展開されている。
VWにおける具体的なAI活用領域は多岐にわたる。
サプライチェーンと生産の最適化: AIが完全な生産シーケンスを生成して工場の効率を最大化し、稼働中は絶えず情報を監視して出力の最適化や故障の根本原因(ルートコーズ)の予測を行う。
メンテナンス・チャットボットによる知識共有: 広大な生産ネットワークに存在する数千のコンポーネントに関する膨大なマニュアルや、現場の担当者の頭の中にしかなかった解決ノウハウをすべてDPP上に集約。AIが言語の壁を自動的に越えるため、ドイツの工場のベストプラクティスがスペインの工場でも即座に利用可能となった。これにより、機械のダウンタイム発生時の対応時間が「秒単位」にまで短縮された。
圧縮空気エージェントによるエネルギー削減: 溶接や塗装などで大量に使用される高コストな「圧縮空気」の消費を最適化するため、AIが全コンプレッサーからデータを収集し、使用量を予測・制御するエージェントを導入。最初はAIがオペレーターに提案を行う「ヒューマン・イン・ザ・ループ」の段階から始め、徐々に自動制御へと移行することでデータに対する信頼を構築した。結果として電力消費の10%削減を達成し、VWの「2050年CO2排出量ゼロ」目標に直結する成果を出している。
「初日からスケールを想定せよ」――AI導入を成功に導く絶対原則
VWがこれほどまでに広範なAI実装を成功させている秘訣は、その導入プロセスにある。彼らは最も価値の高いトピックを優先し、経営陣の強力なコミットメントを得た上で迅速にパイロットプロジェクトを立ち上げる。そして成果が確認されれば、エコシステムのパートナーと協力し、DPPという強力な共通基盤を利用して複数の工場や地域へと一気にロールアウト(展開)する。VWはインダストリアルAIを加速させる基盤をすでに築き上げており、次のステップとして「フィジカルAIの工場への本格導入」を見据えている。
このVWの成功事例について、ある鉱業会社の担当者は「複雑に絡み合ったスパゲッティ・システムから、美しく整理されたラザニア・システムへと移行した」と称賛したという。これは自動車業界という枠を超え、あらゆる重厚長大産業にとっての道しるべとなるものである。
AWSがインダストリアルAIの導入において、すべての企業に強く訴えかける教訓がある。それは「常に初日からスケーリング(規模の拡大)を念頭に置いて考えること(Scaling from day one)」である。AIの真の価値は、研究所での小規模な実験や単発のPoC(概念実証)からは生まれない。既存のシステムと確実に連携し、信頼を担保した上で、グローバル規模でスケーリングされた時にこそ、AIはビジネスを根底から変革する巨大な価値を創出するのだ。製造業のデジタル変革は、まさに今、実証実験のフェーズを終え、大規模な社会実装のフェーズへと突入している。
















