日本のスタートアップ・エコシステムが迎える転換点:次なる10年への課題とグローバル展開への道筋(SusHi Tech TOKYO 2025報告)
- Komiya Masahito
- 2025年5月15日
- 読了時間: 8分
日本のスタートアップ・エコシステムは、過去十数年の間に未曽有の成長を遂げ、今まさに大きな転換点を迎えている。初期の黎明期を脱し、莫大な資本が流入する一方で、「小規模な上場」にとどまる企業の多さや、グローバル市場での競争力不足といった構造的な課題も浮き彫りになってきた。本稿は2025年5月に日本で開催されたアジア最大のスタートアップ・イノベーションに関するカンファレンスのSusHi Tech TOKYO 2025の下記セッションの内容を紹介する。現在の日本におけるスタートアップ市場の特異性や強みを紐解きながら、次なる10年に向けた最優先課題と、真のグローバル企業を創出するための道筋について詳細に解説する。

セッション名:日本のスタートアップ・エコシステムを再考する~次の10年に向けた優先課題とは

急成長を遂げる日本のスタートアップ市場:その特異な立ち位置と強み
100億ドル規模へ拡大した投資額と世界一オープンな資金調達環境
日本のスタートアップ・エコシステムは、2008年当時、投資額がわずか3億ドル相当の規模に過ぎなかったが、現在では約100億ドル規模にまで膨れ上がり、目覚ましい成長を記録している。この成長の背景には、政府機関や大企業による強力な資金支援の存在がある。例えば、政府が支援する産業革新投資機構(JIC)などは数千億円規模のファンドを運用し、エコシステムのキックスターターとして機能してきた。こうした政府主導の支援に加え、日本のスタートアップ投資資金の約56%は大企業によるコーポレートベンチャーキャピタル(CVC)から供給されていると見られている。機関投資家や政府、大企業からの資金が潤沢に流れ込む日本の資金調達環境は、世界で最もオープンな市場の一つへと進化を遂げている。これにより、未成熟であったVCファンドもプラットフォームを拡大し、優秀な人材を引きつける好循環が生まれている。
極めて高い「生存率」と小規模IPOが可能な市場環境
日本のエコシステム最大の特徴として、スタートアップにとっての「成功率(生存率)」の高さが挙げられる。米国では、シード期からシリーズAに到達できない企業が75%に上る一方で、日本では約6割の企業がシリーズAへと進むことができる。さらにシリーズAからシリーズBへ進む確率も約50%と高く、起業家にとってビジネスを継続させやすい環境が整っている。
この生存率の高さを支えているのが、世界的に見てもハードルが低いIPO(新規株式公開)市場の存在である。グロース市場(スモールキャップ市場)においては、バリュエーションが3000万ドル程度という小規模な段階であっても上場を果たすことが可能である。米国や中国のように激しい競争を勝ち抜いた一部の企業しか生き残れない市場とは異なり、日本では早期にIPOを実現し、エグジットの機会を得ることができる。しかし、この「小さくてもIPOができる」という環境は、企業家にとってありがたい反面、「成果が小さくまとまってしまう」という課題を生み出す温床にもなっている。
東証の基準改定がもたらす波紋:「ユニコーン創出」への荒療治
上場継続基準の引き上げとゾンビ企業化への危機感
前述の通り、これまでの日本では小規模な上場が容易であったが、東京証券取引所は上場継続基準(エグジットバー)を引き上げるという大胆な改革に乗り出した。かつては上場後10年間で時価総額40億円を達成すればよかった基準が、現在では100億円(約7000万ドル)にまで引き上げられている。この基準変更により、現状のグロース市場に上場している企業の約7割が基準に抵触し、上場廃止のリスクに直面するという事態に陥っている。
この厳しい措置の裏には、成長力のない小さな「ゾンビ企業」が多数上場している現状を打破し、業界の中核を担う大きな企業(時価総額100億円規模以上の企業やユニコーン、デカコーン企業)を意図的に排出しようとする狙いがある。経営資源(人材や資本)を分散させるのではなく、真にスケールアップ可能な企業に集約させるため、あえて「成功率を下げる(リスクを取る)」方向へと舵を切ったのである。
求められるエグジットの多様化(M&Aとセカンダリー市場)
大企業を創出するという方向性自体は合理的であるものの、単にIPOの入り口を厳しくするだけでは、エコシステム全体のエグジットをブロックしてしまう危険性がある。起業家や投資家の資金回収サイクルを回し続けるためには、IPOに代わるエグジット手段の拡充が急務である。現在、M&A活動の活性化や、日本にはまだ存在しないに等しい未上場株のセカンダリーマーケット(流通市場)の整備が議論されている。こうした多様なエグジット手段の構築が、IPO基準の厳格化とセットで行われなければ、エコシステムの健全な発展は望めない。
国内市場の「ジレンマ」とグローバル展開への障壁
恵まれた国内市場が足かせに? B2B領域の成功と限界
なぜ日本から世界的なユニコーン企業が生まれにくいのか。その根底には、皮肉にも「日本の国内市場が十分に大きく、かつ競争が緩い」という事実がある。日本は世界第3位、あるいは第4位の経済規模を誇り、フォーチュン500に名を連ねるような大企業が多数存在する巨大市場である。特にB2BのSaaS領域などでは、競合が少ないため、国内の課題解決に特化するだけでも1億ドル規模の売上や数十億ドル相当の時価総額を比較的容易に達成することができる。
しかし、1000億ドルや2000億ドル規模の巨大な時価総額を目指すのであれば、日本市場だけでは明らかに規模が足りない。多くのスタートアップが、わざわざリスクの高い米国企業や中国企業とのグローバル競争に挑むよりも、確実性の高い国内市場のパイを取りに行くことを選んでしまう構造がある。過去、ソニーやトヨタ、ホンダといった日本の初期テック企業は海外売上が国内を上回る真のグローバル企業であったが、現在のインターネット企業で海外売上が主力となっているのは、リクルート(Indeed買収)などごく一部の例外に限られているのが実情である。
圧倒的に不足するグローバル人材と多様性の欠如
グローバル市場に進出する上で最大のボトルネックとなっているのが、人材の多様性の欠如である。米国やヨーロッパ、あるいはシンガポールなどのスタートアップでは、創業メンバーが多国籍なバックグラウンドを持つのが当たり前となっている。一方、日本では依然として純粋なドメスティックチームで構成されるスタートアップが大多数を占めている。初めから国内のみを見据えて立ち上げられたチームが、後からグローバル市場に打って出ることは極めて困難である。
次なる10年に向けた最優先課題:「初日からのグローバル化」と高い志
「デイワン」からの多国籍チーム構築の成功事例
次の10年に向けた最優先課題は、グローバルで戦えるスケール感を持ったスタートアップの創出である。そのためには、「創業初日(デイワン)からグローバルを見据える」ことが不可欠となる。日本でもこのアプローチに気づき始めたトップ層の起業家が現れ始めている。例えば、約30億ドルの時価総額を誇る企業を育て上げたCEOが新たに立ち上げたスタートアップでは、創業時からインド人のCTOや、米シリコンバレー出身のCPOを採用し、最初から多国籍チームを編成した。同社は、世界共通のペインポイントである「SaaSのコストとセキュリティ管理」というグローバルなユースケースに焦点を当て、見事に世界市場への展開を進めている。
また、日本の入国管理政策は起業家に対して非常にオープンであり、ビザ取得が困難な米国などと比較して、海外からの人材流入が促進されやすいという隠れた優位性も持っている。実際に、シリコンバレーや中国、アジア各地から優秀な起業家やエンジニアが日本に拠点を移すケースが増加している。こうした外国人材をエコシステムに積極的に取り込み、国内プレイヤーと国際プレイヤーが融合する多様な環境を構築することが急務である。
政府・大企業の強力な支援と、求められるアグレッシブなマインドセット
グローバル化に向けては、VCやスタートアップ自身のアグレッシブな「志(マインドセット)」の変革も求められる。中国やインドといった新興市場のVCマネージャーは、海外からの資金調達手法を瞬時に学び、グローバル市場へのIRのためにあえてシンガポール人を採用するなど、プラットフォームを拡張するための強いハングリー精神を持っている。日本のスタートアップ関係者も、ガバナンスや情報開示の成熟度を高め、海外資本を惹きつけるための攻撃的なコミュニケーション能力を身につける必要がある。
明るい兆しとして、大企業や政府がスタートアップの単なる「投資家」にとどまらず、「最初の顧客」として市場を提供する動きが加速している。かつてはクラウドソフトウェアの導入に消極的だった日本企業も、現在では潤沢な予算を割き、スタートアップの製品を積極的に導入している。さらに、政府の「スタートアップ促進計画」のもと、品質が同等であればスタートアップからの調達を優先する方針が打ち出され、自衛隊などを含む政府機関からの調達予算も確保されている。
日本のスタートアップ・エコシステムは、資金面や国内市場の基盤という点ではすでに世界有数の成熟度を誇っている。次なる10年において、小規模な成功に安住せず、いかにして初日からグローバルに挑む「志」を持った企業を生み出せるか。多様な人材を巻き込みながら、リスクを取って巨大な成果を狙うカルチャーへのシフトが、日本の命運を握っている。
















