危機を好機に変える「メイド・イン・ジャーマニー」の逆襲──ディープテックと既存産業の融合が導く次世代エコシステム(Hannover Messe2026報告)
- Komiya Masahito
- 4月30日
- 読了時間: 9分
はじめに:悲観論の裏に潜む「起業の波」
現在、ドイツ経済は4年連続で不況の波に晒されており、産業界には「もはや競争力を失ったのではないか」という悲観的な空気が漂っている。日常的なビジネスの会話においても、国外への移転や撤退が話題に上るほどだ。
しかし、歴史を振り返れば、ドイツにおける深刻な危機の時代は、常に新たなイノベーションと起業の時代でもあった。例えば、1848年のドイツ革命の前夜に設立され、現在では約800億ユーロの売上を誇る多国籍企業へと成長したジーメンス(Siemens)や、第二次世界大戦後の1945年の廃墟の中から立ち上がり、今日では200億ユーロ規模となった企業群がその筆頭である。また、現在のエネルギー危機と類似する1972年のオイルショックの最中には、現在時価総額2000億ユーロ規模を誇るソフトウェアの巨星・SAPが誕生している。さらに記憶に新しい2008年の金融危機(リーマンショック)の際には、旅行プラットフォームのGet your Guideが産声を上げた。一方で、現在の中堅・老舗企業は「ミドル・テック・ギャップ(Middle Tech Gap)」と呼ばれる課題に直面している。これは、壊れた機械を新しいものに置き換えるような「反復的なイノベーション」には投資するものの、根本的なハイテク技術への投資を怠っている状態を指す。事実、20世紀半ばにはGDPの4%がイノベーションに投資されていたが、現在その割合はわずか0.16%にまで低下している。この投資不足のままでは、将来的な成果を見込むことは到底できない。
本稿は2026年4月にドイツ・ハノーファーで開催された世界最大の製造業に関する展示会Hannover Messe2026の下記セッションの内容を紹介する。この現状を打破し、ドイツの真の強みである「世界クラスの基礎研究」と「重厚長大な産業ノウハウ」を掛け合わせることで生まれつつある、新たなディープテック・エコシステムの全貌を解説する。

セッション:
世界最高水準のドイツ製製品 ― スタートアップ企業と産業界が未来を形作る方法
(World-Class Made in Germany - How Startups and Industry Are Shaping the Future)
登壇者:
・Verena Pausder Entrepreneur, Investor & Chairwoman of the German Startup Association
セッション概要:
ドイツには必要なものがすべて揃っている。世界トップクラスの研究力、強固な産業基盤、そして意欲的な起業家たち。しかし、私たちは未だに、これらの潜在能力を真に結集させることに成功していない。今回の基調講演では、まさにそれが私たちにとって最大のチャンスである理由について語る。スタートアップ企業は中小企業から何を学び、またその逆はどうか?スピードと精度の組み合わせから、真のイノベーションはどのように生まれるのか?そして、ドイツが再びグローバル競争で主導的な役割を担うのか、それとも後れを取るのか、今まさにその岐路に立たされているのはなぜなのか?

ドイツの真の強み:世界最高峰の研究力と「分散型」のイノベーション
イノベーション投資の低下という課題はあるものの、ドイツには未来を切り拓くための「強力な材料」が揃っている。それは、国内の大学や高等教育機関における世界最高水準の研究開発力である。特許数、ノーベル賞受賞者の輩出、そして基礎研究のレベルにおいて、ドイツは依然として米国と肩を並べる水準にある。
これまで課題とされてきたのは、これらの優れた研究成果を「スピンオフ(大学からの起業)」という形で実社会やビジネスの場に十分に落とし込めていない点であった。しかし、状況は急速に好転している。
スピンオフの急増とエコシステムの拡大
現在、ミュンヘンのイノベーションセンター「Unternehmertum(ウンターネーマートゥーム)」では、研究開発を基盤としたディープテック分野のスピンオフが毎年50社も誕生している。最新のスタートアップレポートによれば、2024年から2025年にかけての起業数は29%も増加する見込みだ。昨年だけでも3600社の新しいテック系スタートアップが設立され、そのうち27%がAI(人工知能)、11%がディープテック領域に特化している。
「分散型(地方分権)」がもたらす新たな強み
注目すべきは、この起業の波が特定の都市に留まらず、全州に波及している点である。例えば、東部のザクセン州では起業率が前年比で56%もの飛躍的な増加を記録している。ミュンヘンだけでなく、ハイルブロン、ダルムシュタット、カールスルーエ、アーヘンなど、高度な研究機関を持つ地方都市(ハブ)において、スピンオフの割合が急増しているのだ。
フランスのパリやイギリスのロンドンのように一極集中型の都市を持たないことは、長年ドイツの弱点と見なされてきた。さらに、複雑な連邦制もビジネスの足かせになりがちだと批判されてきた。しかし、イノベーション創出という観点においては、この「地方分権」と「小さな専門化された単位」の存在こそが最大の強みへと転換している。現在、ハノーファー、ゲッティンゲン、ブラウンシュヴァイクなど全国各地で、ミュンヘンの成功モデルを複製するための「スタートアップファクトリー」の構築が進められている。
Redstone Reportの予測によれば、大学や研究センターからのスピンオフを加速させることで、年間2600社のディープテック企業が誕生し、約10万人の雇用創出と420億ユーロのGDP押し上げ効果が期待できると試算されている。
スタートアップと既存産業の融合:「Lost in Translation」を乗り越える
場所、世界クラスの研究、優秀なエンジニア人材、そして長年培われてきた「メイド・イン・ジャーマニー」の代名詞である強力な工業的製造ノウハウが揃っているにもかかわらず、なぜこれまでイノベーションが爆発しなかったのか。
その根本原因は、スタートアップと伝統的な中堅企業(ミッテルシュタント)が互いに「どう連携してよいか分からない」という断絶状態にあったことだ。調査によると、既存企業の90%がスタートアップを重要なイノベーションのパートナーとして認識している一方で、スタートアップ側のわずか11%しか「既存企業から関心を持たれている」と感じていない。このコミュニケーションのすれ違い、いわば「Lost in Translation」が連携の壁となっていた。
しかし今、ディープテックの台頭によってこの壁が崩れ去ろうとしている。具体的なビジネスケースと安全保障上の要請が、両者を強力に結びつけ始めているのだ。
【事例1】宇宙産業の主権確保:Isar Aerospace
宇宙領域における代表例がIsar Aerospace(イーザル・エアロスペース)である。同社は欧州製のロケットを用いて人工衛星を宇宙へ打ち上げるプロジェクトを進めている。これは、世界の衛星インフラの大部分がイーロン・マスク氏の企業に独占され、欧州が宇宙空間へのアクセス権を握られる(宇宙で盲目になる)リスクを回避するための極めて重要な取り組みだ。
ロケットの製造には、高度な金属加工、電子工学、メカトロニクス技術が不可欠である。Isar Aerospaceは、グローバルなサプライチェーン(例えば中国や台湾を巡る地政学的リスク)に依存するのではなく、ドイツ国内(バイエルン州周辺など)の世界市場をリードする中堅企業群と直接タッグを組んでいる。マスク氏が「欧州向けの(打ち上げ)キャパシティを提供できなくなる」と予告した2028年末までにロケットを飛行させるため、地域密着型の強固な協業体制が敷かれている。
【事例2】次世代エネルギー「核融合」:Proxima Fusion / Marvel Fusion
エネルギー分野では、マックス・プランク研究所からスピンオフしたProxima Fusion(プロキシマ・フュージョン)や、Marvel Fusion(マーベル・フュージョン)が注目を集めている。彼らはノーベル賞受賞者レベルの専門家を擁し、60年にわたる基礎研究の成果である核融合技術を実用化しようとしている。
しかし、スタートアップ自身が巨大な発電所を建設することはできない。そこで、建設・エンジニアリング大手のFinger Berger(フィンガー・ベルガー)などのプレーヤーとの協業が必須となる。また、レーザー技術を用いて核融合に挑むMarvel Fusionは、最高峰の精密レーザー技術を持つSIZ(ツァイスなど)と連携している。
【事例3】AIロボティクスと防衛テック
ロボティクス分野では、Neura Robotics(ニューラ・ロボティクス)が巨額の資金調達を完了し、自動車部品大手のBosch(ボッシュ)やSchaeffler(シェフラー)と密接に連携しながら未来のロボットシステムを構築している。
さらに切迫した分野が、欧州の主権と自由を守る防衛テックである。Helsing(ヘルシング)、Stark(スターク)、Ark(アーク)、Quantum(クアンタム)などの企業が開発するAI搭載のドローンシステムは、すでにウクライナの戦線で実戦投入されている。これらのハイテク装備を迅速に製造するためには、防弾素材や迷彩用繊維などを長年製造してきた家族経営の老舗企業など、国内の深い垂直統合型サプライチェーンからの部品供給が不可欠となっている。
これらはもはや「スタートアップと中堅企業が仲良くすれば良い」という理想論ではなく、欧州の経済的・軍事的自立を賭けた強固なビジネスケースとして機能しているのである。
成長資金の流出を防げ:「メイド・イン・ヨーロッパ」の実現に向けて
イノベーションの土壌は整いつつあるが、最大のボトルネックとして立ちはだかっているのが「資金調達のサイクル」である。
ドイツでは、シード期やアーリーステージ(初期段階)のスタートアップに対する資金供給は十分に機能している。しかし、企業が成長し、数千万〜1億ユーロ規模(50〜100百万ユーロ)の多額の資金を必要とするシリーズB・シリーズCのフェーズに入ると、状況は一変する。ディープテック企業がこのスケールアップ段階に到達すると、その株式の実に86%が欧州外の投資家の手に渡ってしまうのだ。
初期のハイリスクな段階で10社中9社が失敗するリスクを国内で引き受けながら、ようやく成功した1社を「世界に向けてどうぞ」と差し出しているのが現状である。結果として、成長した企業は米国のナスダック(NASDAQ)などで上場を果たし、雇用や技術の基盤も国外へ流出してしまう。過去10年間で、このようにして約4000億ユーロ規模の価値が米国市場へ流出したとされている。
この悪循環を断ち切り、イノベーションのエコシステムを完結させるためには、国内に眠る莫大な資本を活用しなければならない。ドイツには約300兆ユーロの貯蓄があり、保険機関や年金基金によって毎年3000億ユーロもの資金が運用されている。これらの潤沢な資本を国内のイノベーション投資へと振り向け、「メイド・イン・ジャーマニー」で生み出した技術を、資本面でも「メイド・イン・ヨーロッパ」として守り抜くことが急務である。
結び:未来への責任と自己認識のアップデート
ドイツは現在でも世界第3位の経済大国であり、世界中からその動向が注目されている。にもかかわらず、「もうドイツはダメだ」「競争力がない」といった悲観論を自ら喧伝することは、最悪の自己マーケティングに他ならない。
今、ドイツは長年蓄積された産業ノウハウ、世界クラスの研究力、そして新たなディープテックの潮流が交差する「歴史的なチャンス」を迎えている。過度な悲観論を捨て、強力な基盤の上に新たなビジネスを構築する責任がある。これは単なる経済対策に留まらず、これからの時代を生きる若者や子どもたちに対し、「世界に通用するメイド・イン・ジャーマニーに自分も参加したい」と思わせるような、前向きで希望に満ちた物語(ナラティブ)を提供するという社会的責任でもある。
危機をバネにして起業家精神を取り戻し、分断されていた産業とスタートアップを融合させ、国内資本を成長領域へと投下する。この三位一体の改革が進めば、ドイツの産業は再び世界の最前線で輝きを取り戻すだろう。
















